考えの小瓶

思ったことを思うままに放り投げるだけのブログ

私とおかしな劣等感

 今回は、私のおかしな劣等感の話について書きましょう。

 

 劣等感、多分ふらりとここを覗いているあなたも、多少は持っているのではないでしょうか。

 他人の心の中は覗けないので、自分を基準に書きだすと、劣等感は幼いころから気づけば持っていたような気がします。

 成績も一番は他にいて(そこまで努力したわけでもなかったので当然です)、クラス内では目立たない存在、私よりも優れている人はたくさんいることはわかっていました。

 スゴイナァ ワタシダッテ ワタシダッテ  ワタシ ニハ  ムリ …

 振り返るとあまりに自然に劣等感を持っているので、私以外の他の人も、きっと劣等感は持っているんだろうなーと思います。持たれているところもあるかもしれない、なんてことも。だって、自分がこれだけ自然に持っていますから。

 

 なので、劣等感自体は、持っていても普通のものだろうと思っています。あの人のほうがすぐれている!なんで今もよく思います。

 ないものねだりを知りつつも。

 比べても仕方がないことだと思いつつも。

 ただ、我ながら一つ、おかしな劣等感があるなと思ってきた事柄があります。

 

 それは、暗い過去がないこと。

 

 書きだすと、なんの異世界ファンタジー小説だ! 中二病か!!!(笑)

 ようは、割とのんきに生きてきたんですよね。劣等感も苦手意識も持っているし、いつも幸せといい切れるわけではありませんが、幼少期にトラウマもなく、親子関係も特に大きな問題はなく。

 ずっとそれが普通で生きて来たので、高校ぐらいまではまったく他の家庭のことを考えたことはありませんでした。大学ぐらいまではまわりの人の顔色をうかがう、ということもあまりしていなかったような気もします。

 

 高校に入って、父親と母親のやり取りが面白かったこと──みたいな話を同級生にしたときに、その同級生から「お父さんとお母さん仲良いんだね」「話してるの聞くとほのぼのする」と珍しそうな口調で言われてハッとしました。

 責められているわけではなかったのに、その同級生が片親家庭だったことに始めて思い至ったんです。そして、話さないほうがよかったかもしれない?と思った。

 

 そのあと、あまり自分の家族の話は話さなくなりましたが、誰かの家族の、ずいぶん大変な話を聞くことは多くありました。

 物語で読んだようなこと、それよりも激しいこと。家族の様子をうかがって生きてきたし、今も気を配っていること。

 

 自分が幸せで、ほとんど何事もなく(それでも多少家族の気に入らないところはある…)生きてきた、そのことが得難いなと思うとともに、なんだか劣等感がありました。

 そういう家庭内での大変さは、私には実感としてわからないことだからでしょう。

 もしかしたら、“苦労してこそ得られる経験があるのでは”とも思っていたのかもしれません。

 

 正直、気を配るのは苦手です。こちらの説明が通じているかどうかを読み取って、追加で説明するのはできても、相手の機嫌に応じて話しかけるタイミングを読むことはできません。

 家で様子をうかがわなくても大丈夫だった、ということが、そういう自分の傾向に関わってくるのかなぁと思うと、そういう経験をしていない私って……という、自分でもおかしいな、と思う劣等感が湧いてくる。

 対人援助職に就いたこともあって、気を配れないこと、接する相手ほど苦労してこなかったこと、はどうしても気になることがあります。

 そういうことができれば、もっと違ったのでは、と。

  大きな苦労をしたことがないから、私にはわからないことがあるかもしれない、とも。

 

 でも、きっとそうじゃないんです。経験がなくてもできることはあるし、他の人ほど機嫌が読めなくても、気を付けられることはある。

 わからないことを感じても、隣にいることはできる。

 そう信じなければ、何にもできない。

 

 今は、相手がどういう家族で暮らした人でも、話したければ私の家族のことを話せるようになりたい、と思っています。

 隠すこと自体が、なんだかおかしいなぁと思うから。

 

 それを通して、このおかしな劣等感も、少しずつ消していきたいものです。